NAGATANI Soen​

永谷宗円(ながたにそうえん、延宝9年2月8日(1681年3月27日) - 安永7年5月17日(1778年6月11日)) 

NAGATANI Soen (March 27, 1681 – June 11, 1778)

​永谷宗円とは・・・

 日本緑茶の生みの親であり、現在、手軽に緑色のお茶が飲めるのは、宗円の功績であるといわれています。

He is the father of Japanese green tea.  It is said that we can drink green tea by Soen's achievement.

 永谷宗円の功績については、大正時代の中頃、宇治田原町妙楽寺の住職であった好川海堂が、『日本喫茶史要』という著作に「日本煎茶創始者永谷翁」の項を書いたことにより、初めて公になりました。

In the middle of the Taisho era, Yoshikawa Kaido, who was the chief priest of Myoraku-ji Temple in Ujitawara Town, wrote the section "the revered old Mr. Nagatani, the father of Japanese green tea Sencha" in his book "History of Japanese Tea Drinking". As a result, the achievements of Nagatani Soen became public for the first time.

人物像

 京都府綴喜郡宇治田原町湯屋谷の永谷宗円は、1738年に「青製煎茶製法(宇治製)」を開発し、それを世に広めました。

 

 宗円というのは、晩年に仏門に入ったのちの名前で、元々の名は宗七郎です。家系図には、「始め行弘と名乗り、のちに義弘と改めた」とありますが、人々に広まっていたのは、「宗七郎」という名でした。

 

 永谷家は、いわゆる村の名家であり、祖先の家弘が湯屋谷に転居して以来、茶園を開き、製茶業に従事し、代々その茶業を継いで明治年間にまで及んでいました。

 

 宗円は、新しく開発した煎茶の製法を、家人が止めるのもきかず、希望する人々に公開して、自分だけのものにすることはありませんでした。永谷家の古い記録には、次のような逸話が記載されています。

『宗円は、近隣に製茶法を教え、近くの村々までも伝授された。家族が言うには、製茶の時には人手を集めるのに差し支えるから、あまり手広く教えなさるなと申したところ、宗七郎は、似たものは自然と集まるものであるから、国中に広まってしまえば、外国から伝え来た者たちが来る。人手に少しも不自由はないから心配する必要はない、と言われた』

 その心の大変に広いこと、無我の性格はこの伝えられている簡単なひとつの話から十二分に想像することができます。

 

 宗円の亡くなった年齢は、いろいろに伝わっていますが、様々な文献などから検証すると、実に98歳の高齢であったと考えられます。また、その墓所は、一般の共同墓地とは全く別の場所で、自宅近くの山腹に独立して存在しており、子孫が亡き後に相当に敬慕の情を捧げたことを物語っています。

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